「ロリィタ/コンプレックス」


 舞い上がる――とか、浮き足立つ――とか、そういうものなんだと思った。このふわふわした浮遊感、羽根でも生えたみたいな幸福感。周りは何でもきらきらして見えて、今だったらきっと本当に空も飛べるんじゃないかって。


     *


「ねえ」

 ある日のこと。
 誰も訪ねてこないことが退屈にでもなったのか、感覚球を通じてアリスがイライザ元に顔を出した。ただぼんやりとひっそりと佇んでいたイライザも、自分の妹とでも呼ぶべき少女の来訪に頭を巡らす。首を傾げて、「何かあったの?」という意思を見せる。
 感覚球から降り立ったアリスは天井を見上げて人差し指を顎に添えて、「うーん」と唸る。

「別に用事があるってわけでもないんだけど……ねえ、来た?」

 問いに、イライザは目を逸らし、目を伏せる。
 来ない。
 誰が――? 「彼」が――だ。
 先日、初めて出会って、あっという間に恋に落ちて、あっという間に引き裂かれた「彼」。引き裂かれてしまって以降、一体どうしてしまったのやら――連絡もない、音沙汰もない、勿論会いに来たこともない、その姿を見かけたことすらない。こんなにも、こんなにも、待ち焦がれているのにも関わらず、「彼」は一向に現れる気配がない。
 忘れてしまったのか、とも考えた。嫌いになってしまったのか、とも。
 だけれど、無理矢理に振り払った。それは妄想だ、と。
 きっと何か事情があって来られないだけなのだと信じた。もしかしたら、引き裂かれたあの時に大怪我でもしたんじゃないか――きっとそうに違いない、と。
 どちらが妄想なのかなんてどうでもいい。そうでも思わなければ喪失感を拭うなんてできはしないから。
 目を伏せたイライザに、アリスも泣き出しそうな顔を見せる。ほんの僅かだけ、誰も見ていない隙に、ほんの一瞬だけ。すぐにいつもの愛らしい表情に戻って、それからぷくっと頬を膨らませた。

「もお、そんな顔しないでよ。大丈夫だよ、すぐ来るよ。今はちょっと……そうだ、きっとどこかで転んだりとか、してるんだよ。ほら、ぼんやりしてるし」

 我ながら無茶な理由だと思いながら、アリスはイライザの服の袖を両手で掴む。何も入っていない、感触。皺にならないように、そっと緩めて、袖の手触りにふと思う。

「ね、あのさ、待ってる間、おめかししようよ」
「……おめかし……?」
「そ。お洒落。だって、次に会うのって久し振りなんだよ。服着替えてさ、可愛くしてさ。驚かしてやろうよ」
「……」

 お洒落をした自分を想像してか、嬉しそうに笑うアリス。
 正直――お洒落をした自分など想像もつかないイライザ。頷くことも否定することも出来ず、困惑して黙り込んでしまう。だけれど、嬉しそうに何かを期待するようなアリスのきらきらした瞳に見詰められて、想像はできなかったけれど憧れてはいる自分の気持ちに気がついて、イライザの頬がほんのりと桃色に染まる。唇が何かを言いたそうにきゅっと軽く噛み締められて、俯いた顔に上目遣いの目でアリスに何かを訴えかける。
 声にはならない言葉。女の子同士だからこそ伝わる心。
 アリスも頬を桜色に染めて、照れ臭そうに幸せそうに、満面の笑みで頷いた。


     *


 どこで手に入れてきたのかは多少疑問には思ったが深く追求することはせず、イライザはアリスの持ってきたふわふわの白いドレスに袖を通した。
 首を覆うレースの衿。編み上げの背中。ふっくらとしたパフスリーブ。指先すらも覆い隠す程可憐に広がった姫袖。風を孕んで柔らかに膨らむ、白百合の花びらのようなスカート。髪も薄い水色のリボンで結い上げる。
 変わっていく自分に、自分でないような錯覚。部屋中に並べられた化粧品やアクセサリーの数々が、自分には不釣合いではないかと少し肩身も狭い。だけれど自分では勇気のなかったことが、誰かの手に引っ張られて渋々というポーズでも引き摺られて辿り着いてしまうのは恥ずかしくも結局は嬉しいことで。
 アリスの手によって飾り立てられながら、イライザは鏡に映った自分と、アリスとを、見比べる。アリスも真っ白な可愛らしい服に身を包んでいた。イライザのそれよりは肩や腕や脚が露出していて、それが活発なアリスによく似合い、それでいて今までとはうって変わった新しい魅力を引き出している。髪を飾るピンクのリボンのヘッドドレスもアリスらしくてとても良い。
 イライザはしげしげと鏡越しにアリスを見詰め、思う。
 同じ自分のはずなのだけど――、と。

「アリスは……可愛いわ……」
「え? 何?」

 ぽつりと口をついて出た言葉。
 自分で言った言葉に、イライザは少し驚いた。
 アリスは可愛い。
 自分は可愛くない。
 そう思っている胸の奥底が不意に現れてきた。
 やっかむつもりはない。嫉妬しているわけでもないと思う。ただ、自分にないものを持っている誰かを羨ましいと思う、それだけのキモチ。
 自分の感情のままに動くことのできるアリスを、心底羨ましいと思っていた。そして同時に、心底愛しいとも。
 鏡越しに、ふたりの視線が合う。
 瞳孔のない硝子玉のようなイライザの瞳に、悲しさか――はたまた絶望か――感情の欠落した空虚な何かを、アリスは確かに見たような気がして――
 ボクなんか、と、呟く。
 羨ましいと思うのは――
 アリスとて、同じこと。

「イライザは、綺麗だよ」

 溜め息を吐くように、零れ落ちた言葉。不意の無意識にイライザ同様アリスも困惑する。イライザの髪を纏めていた指先がゆっくりと止まっていく。
 だけれど、その後言葉に窮したイライザと違って、アリスは続く言葉も口にする。ふくっ、と頬を膨らませ、少しつまらなそうに目を伏せて。

「イライザは綺麗だし、可愛いし、優しいし、頭も良いし、性格も良いし……それに比べてボクなんか」
「アリスは可愛いわ」

 凛と遮った意思。
 鏡の前に座る、人形のような彼女からは想像もできぬ程に、はっきりと。

「私は、羨ましい。自分の意思をはっきりと伝えることのできるアリスのことが」
「ボクは羨ましいよ。優しくて綺麗で女の子らしいイライザのことが」
「アリスだって優しいわ。少しだけ素直じゃないだけ。彼だって、わかってるはず」
「イライザだってちょっと恥ずかしがりなだけだよ。わからないわけ、ないよ」

 鏡越しに、また、目が合う。
 今度は、イライザはゆっくりと振り向く。頭だけ巡らせて、少し高いところから見下ろしているアリスを見上げ、優しく柔らかく、だけれど少しだけ歪んだ、微笑みを投げかける。
 アリスの指先がイライザの髪の中から引き抜かれる。するするとほどけて、アリスもその腕を下ろす。イライザの微笑みに、アリスはまるで涙を堪えるみたいに目を閉じて、唇を引き上げて歯を見せて、少しだけ歪んだ、笑顔を向ける。

「変ね」
「変だよね」
「同じ自分なのに」
「自分同士なのに」

 イライザは立ち上がる。振り向いて、アリスに両手を差し出す。
 アリスも背を伸ばす。自分よりも背の高いイライザを見上げ、差し出された手をそっと握る。

 全く違うようでいて、どこか似たような顔立ち。
 意図して着替えたとはいえ、同じような白い服。
 ふわふわのレースにひらひらのリボン。露出の差はあってもデザインの根底に違いはない。
 それぞれの特性に合わせた進化のようなもの。

「ボクたちは意味があって分裂したんだもの。これが一番良いはずなんだ」
「そうね……必要だったことなのだわ……違う魅力があって、良いはずね」
「美味しさ二倍だね」
「やっぱり、可愛いわ、アリス」

 くすくす、と、笑い出す、ふたりの少女。もう、歪みは――ない。
 お互いに顔を近づけて、嬉しそうに、楽しそうに、くすくすと、くすくすと、くすくすと。
 真っ白なドレスが揺れる。ふわふわのリボンが踊る。感覚球の投げかける光が、微笑む少女たちを包み込む。散りばめられた沢山のアクセサリーが、まるで星屑みたいだった。

 ひとりの男性に恋をした少女たち。
 妬むでなく――蔑むでなく――諦めるでなく――
 ただ願っているだけ。
 もう一度、ひとつになりたい、と。
 少女たちは目を閉じて俯き、そっと祈る。

 嗚呼どうか。
 神様お願い。
 もう一度彼に会えますように。
 可愛く着飾った少女たちを見て――
 ――彼が少しでも喜んでくれますように――
 ――可愛いって、言ってくれますように――


  ……こつ。


 聞こえてきた足音に、笑っていた少女たちは顔を上げる。そして見た。部屋の入口――そこに立つ、最愛の彼。
 喜びにぱっと笑顔を輝かせて、思わず走り出してしまいそうに身を乗り出すアリス。
 照れ臭そうに目を伏せて、思わず逃げ出してしまいそうに身を引くイライザ。

 彼は――
 彼女たちのふわふわの真白いドレスと可愛らしい化粧を施した顔とを目を見開いてまじまじと見詰めて――

「げ」

 ――――
 ――――なんて
 身も蓋もない声を上げて――

 彼女たちもそれを聞いて――
 あっ、という間に、凍りついた。


     *


 後日。
 神経塔の中ではふたりの少女の言葉が聞こえている。

「来ないで」

「覚えてないの? も、もぉ、もぉ! 信じらんないッ!」

 罵られているのはひとりの青年。残念ながら彼には記憶が全くない。ただ残されているのは、罪の意識だけ。
 何故少女たちに責められるのかその理由が全くわからず青年は首を捻る。

 罵っている少女たちはというと、
 あの白いドレスは脱いで、いつもの格好に戻っていた。多少服に変化はあったようだが――
 青年はまるっきり気付かなかったようである。


「ロリィタ/コンプレックス」 終了


りゅう様に頂きました。メルヘンチックで可愛いです。
この度は色々と有難うございました!


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